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白生地に色が浮かぶまで。18歳から55年、藤娘きぬたやの「色」を守り抜いた孤高の天才染色家。

日本を代表する絞り呉服メーカー「藤娘きぬたや」。その心臓部とも言えるデザイン制作室で、半世紀以上にわたりひたすらに色と向き合い続けた一人の職人がいます。
千葉耕司、73歳。高校卒業後、故郷の岩手を離れ遠く名古屋の地へ。決して器用でも、社交的でもなかった青年は、いかにしてきぬたやファンから絶大な信頼を置く稀代の染色家となったのか。 2026年6月、55年の染色家人生に幕を下ろす千葉氏に、その誇り高き「孤独と情熱」の軌跡を伺いました。
第1章:岩手から名古屋へ。ビビリだった青年の原点
——1972年、18歳できぬたやに入社されましたが、それまではどんな少年時代でしたか?
千葉: 私の父親は神楽や芝居の仕事をしていたので、家の中には華やかな衣装(着物や帯)がたくさんあったんです。それを母親が繕ったり、余った布で日本人形を作ったりしていました。だから着物自体は身近な存在だったし、きれいだなぁとも思っていました。ただ幼少期は、父親の職業が女形であることや、私自身が病気で入院した事で、友達からひどくからかわれるようになって、家に引きこもることも多かった。だから「早くこの田舎から抜け出して新しい場所に行きたい!」といつも思っていましたね。
——家で過ごすことが多かったようですが、幼い頃から絵や工作は好きでしたか?
千葉: 工作は好きでしたよ。家で木の机や椅子を作ったりしていました。絵は特に好きではなかったけれど、小・中学生の時は課題で描いた絵がよく表彰されました。思いのままにただ描いただけなんだけど、構図や色彩が奇抜だったんだろうね。高校生の時に、体育祭や文化祭で立てる大看板を描いたら、先生や友達からすごく褒められたんです。そのあたりから絵が好きになってきた。進路を決める際、このことを覚えていた先生から「絵が得意な千葉君に向いている仕事があるよ」と、名古屋にある「きぬたや」を勧められ、先生がそこまで言うならと入社を決めました。名古屋がどこにあるのかもよく分かっていなかったけどね(笑)。最初から「染めをやりたい」という強い志があったわけではないんです。
——入社後はすぐに染色の仕事から始めたのですか?
千葉: いえ、当初から図案室(今のデザイン制作室)に入る予定だったんですが、「会社のことを何も知らないのに染色の仕事をするのはおかしい」と思い、自分からお願いして最初の1年間は荷造りからゴミ捨てまで、ありとあらゆる社内の雑用をさせてもらいました。 本格的に染色の仕事を始めたのは入社3年目くらいからです。実は私、すごく「ビビリ」でね(笑)。初めは筆で色を挿すのが怖くて仕方がなかった。「失敗したらどうしよう」って。
でも、そんな私を変えてくれたのが、後に入ってきた後輩の女性職人でした。彼女は恐怖心なんか全くなく堂々と色を挿していき、しかもうまいんだよ。そうこうしているうちに、私より先に、選ばれた者にしか染めることの許されない「訪問着」を任されるようになったんです。悔しくてねぇ。「俺は何をやってるんだ」と奮起したのを覚えています。昔は「手取り足取り教えてもらえる」なんて時代じゃありません。先輩の背中を見て、見よう見まねで必死に技術を盗みました。私が変わったのはこの頃です。
第2章:作家・安藤嘉陽との対比と、貫いた「我が道」
——きぬたやの三代目作家である安藤嘉陽氏が入社された時のことを教えてください。
千葉: 彼は私より5つ年下で、本当に正反対の性格でしたね。第一印象はちゃらんぽらん(笑)。私は周りを気にしないで黙々と仕事をするタイプですが、彼は周りをすごく観察する人だった。技術的なことはもちろん、お客様が今何を求めているのかを分析する能力に長けていました。 当時、安藤さんがモノトーンの「墨調子(すみちょうし)」の着物を染め、それが爆発的に売れたんです。それまでカラフルな色が主流だった業界が、右に倣えで一気に墨調子ブームになりました。
——千葉さんも、それに続いたのですか?
千葉: いえ、私はほとんどやりませんでした。多色使いの、自分の色を貫きました。「絞りの着物で流行を作ってはいけない」と思っていたからです。先代の会長がよく「着物は親子三代、受け継がれていくものだ」と言っていました。その言葉が胸にあった。だから流行り廃りを作ってはいけないと思い、これまで通り自分のやりたい色で染めました。それを面白いと言ってくれる人はいたからね。もちろん安藤さんのリサーチ力や才能は本当に凄いと認めていましたが、私は私の信じる「色」をやり続けようと。
ある時、上司から「染色だけやっていては幹部にはなれないぞ」と言われたことがあります。でも私は「幹部になんてならなくていい。この道一筋でいく」と答えました。過去に他の部署を手伝ったこともありましたが、自分の才能のなさに落ち込みましたね。結局、私には「染色」しかなかったし、染める仕事が純粋に好きだったんです。
第3章:頭ではなく、心で染める。千葉耕司の色彩哲学

——生地を染める際、頭の中にはどのくらい完成形が見えているのですか?
千葉: 白目(絞られた状態の白生地)をじーっと見つめていると、自然と色がフワッと浮かんでくるんです。頭で考えるのではなく、見た瞬間に8割くらいはイメージができあがる。 ただ、やっていくうちに「何か違うな」と思うこともある。そういう時は、途中で抜染(色を抜く)して一からやり直す「戻る勇気」も必要です。そのまま進めても、出来上がったときに必ず後悔するからね。
——千葉さんの生み出す色の特徴とは何ですか?
千葉: 言語化すると「アンバランスなバランス」です。完璧に調和させすぎず、どこかにハズしや遊びを入れる。攻めた色使いやテクニックを取り入れて、常に新しい事に挑戦しながらも、絶妙なバランスで成り立たせることを意識しています。
ある時、取引先の担当者が私の染色した振袖を見て「何だか違和感を感じるんだけど、どこか惹かれるんだよなぁ」という言葉を聞いた時は、狙いどおりだなと(笑)。
——その色彩感覚は、何からインスピレーションを得ているのでしょうか?
千葉: 自然界の風景ですね。時間によって移り変わる空の色をよく見ます。それらを自分の中にたくさん蓄積しておいて、染める時に「あっ、あの時の空の色だ」と引き出すんです。全部頭の中に入ってるんです。
——仕事中に気を付けていることは何ですか?
千葉: 染色は「頭」ではなく「心」でする仕事です。心が乱されていると、どうしても色が濃くなったり、荒れたりしてしまう。そうならないように最近は、染色中はイヤホンでクラシック音楽を聞いて、常に心を穏やかに保つようにしています。
——これまでの55年で、一番満足のいく作品はどれですか?
千葉: 「最高潮だ」「これで満足だ」と思ったことは、ただの一度もありません。「まだできる」「もっとああすればよかった」と常に考えてしまう。だからここまで続けてこられたのかもしれません。
あえて言うなら、福原愛さんが結婚会見の時に着た振袖かな。それぞれの色が派手じゃないのに、組み合わせや濃度によって強ささえも感じられる。そしてぼかしをふんだんに使ってあるので、奥行きや立体感が際立って、我ながら良くできたと思う。あとは、私にとっては最後の特別内見会(年に一度のきぬたや最大規模展示会)に向けて、豪華な松の柄の振袖を染めたんだけど、これは思いっきり自分の色を爆発させた。これ、まだ売れてないから誰か買ってくれないかな(笑)。
左:福原愛さん着用の振袖 右:最後の大作
第4章:残るもの、そして読者へ
——ご自身が染めた着物を着用している人を見る機会はありましたか?
千葉: ありますよ。こっそり成人式を見に行って、自分の染めた振袖を着て喜んでくれているお嬢さんや親御さんを見た時は、「ああ、自分はなんて面白い仕事をしているんだろう」と誇らしく思いました。妻や娘が振袖を着た時も感慨深かったし、親子三代で着ていただいた写真を見た時も本当に嬉しかった。
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——着物を楽しむ「i KIMONO」の読者に、きぬたや絞りのどこを見てほしいですか?
千葉: やはり「色使い」と「ぼかし」ですね。この色の深みと立体感は、他の絞りでは絶対に出せません。一時期、コストを抑えるために手数を減らした染めを試したこともありましたが、結局お客様には認めてもらえませんでした。やはり、手間暇をかけた「本物」だけが残るのだと思います。
——このたび退職されると伺いました。引退後のプランはありますか?
千葉: 何もないですね(笑)。あまりにも染色一筋にのめり込みすぎたので、次のことを考える余裕なんて全くありませんでした。これからゆっくり考えますよ。
——千葉さんの背中を見て育った後輩たちへメッセージをお願いします。
千葉:うーん……背中、なんて立派なものじゃない。私もずっと迷いながら、ただ自分の信じる色と形を追いかけてきただけだから。今、私たちがいる場所は、とても厳しい。規制も増え、昔のように自由に染められないこともある。でもね、だからこそ「自分にしかできないこと」を、もっと深く掘り下げてほしい。時代に合わせることも大事だし、安藤さんはそれをやり遂げた。でも、君たちがきぬたやの職人として、そして私という職人を信じてくれたなら「時代に関係なく、何百年後にも美しいと評価されるもの」を目指してほしい。私はここで終わるけど、君たちの手は、まだ動く。どんなに環境が変わろうとも、絞りという技法の中にある「人間の手でしか生み出せないもの」を、大切に守り抜いてほしい。
——最後に、今の自分へかける言葉は?
千葉:何も言うことはないよ。ただ、自分が染めたものが、どこかで誰かの心を一瞬でも動かしてくれていたなら、職人として、それ以上の喜びはない。まぁ……お疲れ様、かな。
【編集後記】 インタビュー後の雑談で、「なぜ奥様とご結婚を?」と尋ねると、照れくさそうにこう答えてくれました。「妻とは社内結婚なんですが、当時、会社の近所に住む人にきちんと挨拶をしたり、ゴミを拾っている彼女の姿を見たんです。なかなかできることじゃない。この人はすごいなと思って」。 派手な立ち回りを好まず、誰が見ていなくとも、ただ実直に手を動かし続ける。千葉耕司という職人の生き様は、そのまま藤娘きぬたやの着物の誠実さへと繋がっています。千葉氏の手から生まれた着物は、これからも色褪せることなく、世界のどこかで誰かの人生を彩り続けます。
絞り呉服メーカー「株式会社 藤娘きぬたや」
ウェブサイト https://www.kinutaya.co.jp/
Instagram https://www.instagram.com/kinutaya_official/
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